スティーブ・ジョブス|創造の果実
- スティーブン・ポール・“スティーブ”・ジョブズ
- Steven Paul "Steve" Jobs
- 性別:男性
- 肩書き:Apple社創業者(元会長・元CEO)
ピクサー社元社長(元CEO) - 拠点:アメリカ
- 1955/2/24-2011/10/5(56歳没)
スティーブ・ジョブス伝説のスピーチ
この世界最高峰の大学の卒業式にお招きいただき、大変光栄です。
実を言うと、、、
私は大学を中退したので大学の卒業式に出席するのはこれが初めてです。
私は3つの話を皆さんに紹介します。大したことはない、ただ3つの話だけです。
点を繋げる事-Connecting The Dots-
私はリード大学を6ヵ月で中退し、そして、正式に退学するまで、18ヵ月ほど学校をうろついてました。
中退した理由。それは私が生まれる前にまで遡ります。
私の産みの親は、未婚の大学院生だったので、私を養子に出すことしました。
母は、大学を卒業した人が親になるべきだと望んでいたので、ある弁護士の夫婦に預けるという話になりました。
しかし、私が生まれる直前、弁護士夫婦が女の子を希望したので、話は無しになりました。
そこで養子縁組の順番待ちをしていた、別の夫婦に電話が来ました。
「期待をしていなかった男の子がいます。引き受けてもらえますか?」と聞かれ、「もちろん!」とその夫婦は答えました。
その後生みの母親が知ったのですが、その夫婦の奥さんは大学中退で、夫の方は高校すら中退でした。それで生みの母親は養子の書類へのサインを拒否しました。
最終的に息子を立派に大学生にしてもらうことを条件に、サインをしました。
これが私の人生のスタートでした。
17年後、私は無事に大学生になりました。
しかし、世間知らずな私は、とても学費の高い大学を選んだので、 両親の給料が全て、私の授業料へと消えていきました。
その半年後、私は大学に価値を感じなくなりました。私は人生の目標がありませんでしたが、大学が導いてくれるとも思えませんでした。
私は、親が必死で稼いだお金を垂れ流すだけだったのです。なので退学することにしました。
それでも大丈夫だと信じて、その時はとても怖かったのですが、今考えれば最良の選択でした。
その瞬間から私は、必修の授業に出る必要がなくなったので、もっと私の興味をひく授業に、潜り込むようになりました。
素敵な話ばかりではありません。
私には寮が無かったので、友達の部屋の床で寝ていました。
空のコーラ瓶をお店に返して、5セント稼ぎ、食費の足しにしたり、日曜日にはヒンズー教会の夕食を食べるために11キロと歩いたりしました。最高の食事でした。
中退してから私が興味を持ったものは、後に非常に価値のあるものとなりました。
ひとつ例を挙げましょう。
当時のリード大学には、国内最高のカリグラフィ(西洋書道)の授業がありました。学内のポスターやラベルは、全て美しい手書きの字で、デザインされていました。
私は中退しており、必修の授業に出る必要がなかったので、カリグラフィの授業を取って、美しい時の書き方を学ぶことにしました。
そこでセリフ体、サンセリフ体などの書体や様々な文字の隙間の調整など、偉大なタイポグラフィを偉大足らしめる要素を学びました。
それは美しく、歴史的で、科学では捉えられない繊細さがありました。それに魅力を感じたのです。
そんなことは私の人生の役に立つとは、思っていませんでしたが、しかし10年後、最初のMacintoshを作るときになって、それが蘇ったのです。
そのノウハウを活かし、Macは世界で初めて、美しい活字を扱えるパソコンになりました。
大学でカリグラフィの授業に巡りあっていなければ、Macは沢山のフォントや美しい字間調整を搭載することはなかったでしょう。
しかしMacをパクったwindowsはそんな機能が省かれていました。
大学をやめてなければ、その授業に出会わなかったでしょう。そして、美しい活字を搭載したパソコンも現れなかったでしょう。
もちろん、その出来事の繋がりを予想はしていませんでした。
しかし、10年後に振り返ると、とても明白に見えていました。
点と点の繋がりは予想できません。
後で振り返って、点の繋がりに気づくのです。
今やっていることが、どこかに繋がると信じてください。
何かを信じてください。あなたの根性、運命、業、なんでも構いません。
その点がどこかに繋がると信じていれば、他の人と違う道を歩いていても、自信を持って歩き通すことが出来ます。
そして人生に違いをもたらします。
愛と喪失
若いうちに愛する仕事が見つかったのは幸運でした。
20歳の時に両親のガレージで友人とApple社を始めました。
私たちは懸命に働き、たった2人だけだった会社が、4000人の従業員と20億ドルを誇る大企業に成長しました。
我々は創立9年後に最初のMacintoshを発売し、次の年に私は30歳になりました。
そこで私は自分が始めた会社をクビになりました。
私はAppleの成長にしたがって、有能だと思った人物を招き重役におきました。始めは上手くいきましたが、将来へのビジョンが食い違い、分裂するようになりました。
その時に取締役会が彼の味方をし、30歳でとても有名な失業をしました。人生の焦点だったものが消え、絶望しました。はじめの数ヶ月は途方にくれました。
この分野の先人たちの期待に添えず渡されたバトンを落としてしまったと感じました。私は台無しにしたことを詫びようと、デビット・パッカードやボブ・ノイスに会いにいきました。
私の失業は有名だったので、シリコンバレー(ジョブスが住んでいる場所)から逃げようと思いました。
しかし徐々にあることに気がついたのです。
自分の仕事がまだ好きだったのです。Appleを退職しても、その愛は少しも変わりませんでした。
追い出されはしましたが、まだ愛していたのです。なので再出発することにしました。
その時はわかりませんでしたが、Appleからの追放は人生で最良の出来事でした。
自信は失いましたが、成功者としての重圧から初心者の気軽さに変わり、最もクリエイティブな人生へ導かれていきました。
追い出されてから5年間のうちにNeXt社とPixar社を立ち上げ、そしてのちに妻となる素晴らしい女性に出会いました。
Pixarは世界初のCGアニメである「Toy Story」で成功し、世界最高のアニメスタジオとなりました。
そして意外なことにAppleがNeXTを買収したんです。
私はAppleに戻り、NeXTで培った技術はApple再建を支えることになりました。妻ロリーンとも幸せな家庭を築いています。
Appleにいたら絶対にどれも起こらなかったでしょう。とても苦しい薬でしたが、私には必要だったと思います。
時にはレンガで殴られるような苦しみに会うことがありますが、自分を見失わないでください。
私は自分の行いを愛していたからこそ止まることなく続けられました。
あなたも愛せるものを見つけてください。これは仕事にも恋愛にも言えることです。
仕事は人生の重要な位置を占めます。それに満足したければ、自分の仕事が最高だと思うことです。
そして最高の仕事をするには、その仕事を愛してください。まだ見つかってないなら、探し続けてください。安易に落ち着かないでください。
その時はピンと来るものです、あなたの心はわかっています。そして人間関係のように長く付き合うほど心地良くなります。
だから落ち着くことなく、探し続けてください。
死
17歳の時に、こんな言葉に出会いました。
「毎日を人生最後の日だと思って生きよう。いつか本当にそうなる日が来る。」
その言葉に感銘を受けて以来33年間、私は毎朝、鏡の中の自分に問いかけています
「今日で死ぬとしたら、今日は本当にすべきことをするか?」と。その答えが何日も「NO」のままなら、何かを変える必要があると気付きます。
「すぐに死ぬ」と覚悟することは、人生で大きな決断をする時に大きな自信となります。
なぜなら、周囲からの期待、プライド、失敗や恥をかくことへの恐怖などは、死に直面すると消え去るからです。
そこに残るのは、本当に必要なものだけです。死を覚悟して生きていれば、「何かを失うこと」という心配をせずに済みます。
あなたは初めから裸なのです。素直に自分の心に従えば良いのです。
私は1年前、ガンを宣告されました。
朝7時半に受けたスキャン、膵臓にはっきりと腫瘍が写っていました。私は「膵臓」が何なのかも知りませんでした。医者からは治療不可能なタイプの腫瘍だと聞かされ、3~6ヶ月の余命を宣告されました。
医者は「家に帰って、やり残したことを片付けろ」と私にアドバイスしました。
つまり「死ぬ準備をせよ」という意味です。
「子供たちに全てを伝えろ」ということです。今後10年で言うつもりだったことを数ヶ月のうちに言えということです。家族に負担が残らぬよう全てにケリを付けておけということです。「さよならを言っておけ」ということです。
その宣告を抱えて1日を過ごしました。
その日の夜、カメラを飲む検査を受けました。その検査は腸から膵臓へ針を通し、腫瘍細胞を採取する検査です。
私は鎮静剤が効いていたのですが、そばにいた妻の話によると腫瘍を検査した医師たちが叫びだしたそうです。
その腫瘍が手術で治せる非常に稀なケースだからでした。私は手術を受け、おかげで今は元気です。これが私の最も死に近づいた経験です。
今後、数十年は勘弁願いたいですね。
この事を通して、死がただの概念だった頃より、確信をもって言えることがあります。
「誰も死にたくはない」ということです。
天国に行きたい人でも、そのために死のうとはしません。しかし、死はすべての人の終着点であり、誰ものがれたことはないし、今後もそうあるべきです。
なぜなら、死は生命の最大の発明だからです。死は古き者を消し去り、新しき者への道をつくる。ここでの「新しき者」は君たちのことです。
しかしそう遠くないうちに君たちも「古き者」となり消えてゆきます。大袈裟で申し訳ないですが、紛れもない事実です。
あなたの時間は限られています。
無駄に他人の人生を生きないでください。ドグマに囚われないでください。それは他人の考え方に付き合った結果にすぎません。
他人の雑音で心の声が、かき消されないようにしてください。
そして最も大事なのは自分の直感に従う勇気を持つことです。
直感とはあなたの本当に求めることを分かっているものです。それ以外は二の次です。
私の若い頃、「全地球カタログ」という素晴らしい本がありました。私の世代のバイブルです。
スチュワート・ブランドという人によってこの近くのメンロパークにて制作されました。彼の詩的なタッチが紙面に命を吹き込んでいました。
1960年代後半のことで、パソコンもない時代です。全てがタイプライターやハサミ、ポラロイドなどで作られていました。
Googleが生まれる35年も前の、文庫版Googleといったものです。
理想主義的で素晴らしいツールや偉大な信念に溢れていました。
スチュワートのチームはいくつかの刊行を重ねた後、一通りのネタが出尽くしたところで最終巻を出しました。
1970年代中盤のことで私は君たちと同じ年齢でした。
その本の最終巻の裏表紙には、早朝の田舎道の写真がありました。冒険好きならヒッチハイクなどで目にするような光景です。
その下にはこんな言葉がありました。
「Stay hungry, stay foolish」
(貪欲であれ、バカであれ)
それが彼らの別れの言葉でした。
「Stay hungry, stay foolish」
(貪欲であれ、バカであれ)
私も常々そうありたいと思っています。
そして今、新たな人生を踏み出す君たちにも、そう願っています。
「Stay hungry, stay foolish」
(貪欲であれ、バカであれ)
シロイシカ
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